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コラム
4.22018
黄金の80年代、失われた90年代以降。
1980年代から現在まで。
24年間続いた私のサラリーマン経験、その後の起業人生も踏まえ、テクノロジーの進化と、その時代に求められるビジネスパーソン像がどのように変わっていったかを早足でまとめてみました。
私がまだ若手社員の部類だった、80年代初頭は、周りに猛者のような先輩方が沢山いた事を憶えています。
70年代、広告史に残る『モーレツからビューティフル』(広告主は冨士ゼロックス)という名コピーがありましたが、彼らはまさに高度成長期、モーレツ社員の後方集団グループで活躍していました。
昨今あまり使われなくなったいわゆる「叩き上げ」。
現場で下積みを重ねながら、自分のやり方で実力を身につけた人達です。
彼らは組織としてはノウハウを共有しにくい、扱いづらい人達だったかもしれませんが、一人一人は独自の得意技を持った有能なビジネスパーソンでした。
米国の社会学者エズラ・ヴォーゲルの著書
『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(原題:Japan as Number One: Lessons for America)
が、英語版、日本語版それぞれでベストセラーになったのも、この時代です。
長い歴史で培った、日本人の『モノづくりに対するこだわりと職人技』とこの時代のホワイトカラー (今や、死語かもしれません)の『学習意欲の高さ、豊富な読書量がもたらす教養』がこの時代、日本を世界の頂点に押し上げた要因とも言われています。
日本経済にとっては正に、黄金の80年代でした。
その後、私がサラリーマンとして、既にベテランの域に入った90年代後半。
私の目の前にデスクトップのパソコンが一台、会社から支給されました。
既に昭和元禄は終焉、時代は平成となりましたが、80年代には殆ど見られなかった携帯電話が巷で一挙に普及しました。
然し、マクロでは日本の国際的地位は大きく低下。
この間、米国は世界に先駆け、IT、バイオなどの先端技術革命を達成、ヨーロッパ諸国は通貨統合を成し遂げ、中国も躍進し、日本は取り残されました。
当時、それまで耳慣れない『グローバルスタンダード(国際基準)』という言葉がいきなり輸入され、外圧となり、日本的経営の非効率性が鼻先に突きつけられ『グローバル、フェア、フリー』が古い殻を破るための旗印となり、組織のみならずビジネスパーソンとしての自己変革を求められた時代でもありました。
これまでモーレツ上司に薫陶を受けながら、ようやく一人前になった我々の世代にとっては、まごつく事も多々ありでした。
同時に、組織では『仕事の進め方・ノウハウの属人化』『質のバラツキ』が嫌われ、『標準化・ノウハウの共有化』を求められる時代となりました。
90年代以降(失われた20年の間)の日本人ビジネスパーソンとしての在り方は、当時金融、IT産業で息を吹き返した米国に『グローバルスタンダード』という名の絶対尺度を押し付けられた感があります。
そろそろ、日本人も失われた国際プレゼンスを次の時代で取り戻し、自らの『ジャパンスタンダード』を持つ必要があるのでは?とつくづく思う、今日この頃です。
(次回へ続く)